遺跡・観光
ピラミッド街道

ギザ
DATA>入場・カメラ料金&時間は再新情報参照(作成中)/アクセス・小さい墳墓内は各場所でバクシーシ、スフィンクスはフリーパス
最低でも3時間ぐらいは予定していくこと。3大ピラミッドとスフインクスだけだと思ったら大間違い。王妃のピラミッドや王侯貴族のマスタバがたくさんあります。非公開ですが、現代人の墓地の向こうにはピラミッドを建てた労働者の村もあります。
音と光のショー(スフィンクス前)
DATA>日本語・木曜日1回目/夏20:30〜、冬18:30〜
クフ王のピラミッド
DATA>入場・カメラ料金&時間は再新情報参照(作成中)/ピラミッドを背にして右斜向かいのチケットショップでチケットを買う。閉まっているときは、すなわち売り切れを意味する。/もうすぐ一時閉鎖(最新情報は質問コーナー参照)
146メートルあったそうですが、現在は137メートル。基底部一変の長さは230メートル。しかし化粧版がなくなったので現在220メートル。頭頂部の棒は避雷針といううわさが流れていますが、本来の高さを示すためのものです。使われた石は230万個。設計者はヘムオン。ギリシアの歴史家ヘロドトスは、人々を酷使した残忍な王とクフを記述していますが、実際には、農閑期の国家事業で、人々は王を称えていたとか。現在の入り口は、アル・マムーンが開けた盗掘抗。記録上初めてピラミッドに侵入した人物で、財宝を求めて入ったものの、何も得られませんでした。
内部はとにかく狭く、背をかがめて少し進むと上昇通路にぶつかります。約40メートル進むと突然、空間が開けます。そこが高さ8.5メートル、幅2メートル、長さ47メートルの大回廊です。大回廊を昇りきると、侵入者を阻止するための石落とし装置のある控えの間に出ます。王の間はその向こうに。ここにはフタのない赤色花崗岩製の石棺が、ぽつんと置かれているだけです。
上昇通路から水平通路を行くと、女王の間に到達。部屋の東側には偽扉があります。アル・マムーンが発見したイスラム時代は、女性の墓の屋根を切妻状にしていました。女王の間は、この部屋の天井が同型なことに由来します。
カフラー王のピラミッド
DATA>入場・カメラ料金&時間は再新情報参照(作成中)
クフの息子ですが長男ではありません。66年という長期にわたり、エジプトを統治したファラオです。高さ143.50メートル。基底部は一辺215.50メートル。入り口が2つあり、1つは地上の石畳みの中、もう1つは積み石の10段目のところにあります。地上の入り口から入る玄室は、建築段階で遺棄。地面と同じ高さにある玄室には、壊れた花崗岩の石棺だけが残されています。参道の残りがよいので、石畳を歩いてみると、また違ったギザの景色が楽しめるでしょう。スフィンクスを後ろから見るのも面白いです。参道の両側は現在も発掘が進められています。河岸神殿の残りもよいので、ぜひ入ってみてください。今紹介したのとは逆に、神殿から参道を通ってピラミッドに行くのが、本来の進み方だと思います。
スフィンクス
カフラー王の守護神として造られ、顔もカフラー王を真似たといわれてきましたが、近年石の風化具合から、ギザ大地最古の石像建造物といわれています。全長57メートル。高さ5メートル。もともとあった石灰岩の小山を削り、造っています。かつてあったヒゲは、現在大英博物館に収蔵。鼻はアラブ人が進入した際、削ぎ落とされてしまいました。ぜひとも復元して欲しいものですが、それ以前に首も落ちそうになったため補強剤を注入。なかなか難しいようですね。前足の間にあるステラは、通称「夢のステラ」と呼ばれているもの。新王国時代、第18王朝の王・トトメス4世の夢に、「砂に埋もれたスフィンクスを掘り出してくれたら王になれる」という神託があり、それをもとに、このスフィンクスを地上に甦らせたという話がかかれています。時は流れ、スフィンクスは再び砂に埋もれてしまったようで、ヘロドトスの記述にはありません。ナポレオンの『エジプト史』には首から上だけが描かれています。今日のように全身が見られるようになったのは、1926年のことなのです。
メンカウラー王のピラミッド
DATA>入場・カメラ料金&時間は再新情報参照(作成中)
3つの中でいちばん小さいピラミッド。カフラーの息子。高さ66.50メートル。基底部の一辺は108.50メートル。底面積はクフの4分の1。入り口は北側にあり、玄室は地下にあります。在位は18〜28年で、完成前に王が死んでしまったため、設計変更した形跡が見られます。19世紀にイギリスのハワード・ヴァイスの調査で、多くの遺物が発見されました。玄武岩製の石棺はイギリスに輸送中、嵐に遭い、船ごと沈んでしまいました。
カーのマスタバ
第6王朝 、ペピ2世時代の高官の墓。ヘテプヘレスの脇にあり、本人の4体の彫像が残っています。
イドゥのマスタバ
第6王朝 、カーの父か息子のマスタバ。カーのマスタバの隣にあります。
家族の彫像が置かれています。また、偽扉前の地面から上半身だけ出ている彫像は、“供物ちょうだい!”という感じに両手を前に差し出しています。とても珍しいスタイルの彫像です。 (2002年現在、非公開)
王妃メレスアンク3世マスタバ
第4王朝のカフラーの妻・メレスアンク3世のマスタバで、カーのマスタバ並びにあります。
多くの彫像が発見されているマスタバで、美しいレリーフと女性の家族10人の彫像がずらっと並んでいます。 (2002年現在、非公開)
セシェムネフェルの墓
工事中 お医者さん
太陽の船博物館
DATA>入場・カメラ料金&時間は再新情報参照(作成中)/アクセス・クフ王のピラミッドの南
入るとすぐに靴カバーをはかされます。そのせいか床はぴかぴか。図録やハガキは高額ですが、印刷はものすごくきれいです。
1954年に発見。43メートル、レバノン杉でできています。発見当初は数万個のパーツに分解された状態で、完成した状態が分からなかったそうです。復元には14年かかりましたが、現在その復元は、多くの疑問や間違いが指摘されています。発見時や復元家庭の写真も展示されていますから、小さいけれど見応えのある博物館です。博物館の外には、ピットの上を被っていた敷石がならんでいるので、忘れずに見よう。ちなみに1987年に、博物館の西側で第2の船を早稲田隊が発見。今後の調査が待ち遠しいですね。
アブグラブ
太陽神殿
DATA>アブシールのピラミッドから徒歩約2km (本当は非公開?)
第5王朝6番目の王ニウセルラーが造った神殿。5つのアラバスターからなる直径6mの巨大供物台が見もの。その後ろにはかつてオベリスクがありましたが、現在は台座が崩れて残っているだけ。夏は非常に暑いので、観光するには体力的にきついかもしれません。
アブラワーシュ
ジェドエフラー王のピラミッド
DATA>非公開/ギザのピラミッドから北東に7.5km。アブラワーシュ村の山の上。※発掘休止中の夏場にこっそり見に行けば見られるかも……。もちろん番人に見つかるとバクシーシを請求されます。
第5王朝、クフの息子ジェドエフラーが建てたピラミッドです。完成していれば高さ100mにもなったと思われますが、現在は9m。治世が8年間と短かったため、完成しませんでした。
35mある太陽の船のボートピット脇の高台をよじ登ると、シャフトが眼下に広がり、大回廊や玄室などの内部構造がよく分かります。基本的には非公開のため、柵などはいっさいありません。ピラミッド、ボートピット共にのぞくときは要注意。恐ろしく深いため、かなり危険です。
ザウヤットアルヤーン
カバ王の階段ピラミッド
DATA>ギザのピラミッドから南へ2km
第3王朝、カバ王の階段ピラミッド。現在は16mで、1段目の石積みがかろうじて見られますが、砂山といった感じです。