Column エジプト文化交流1
下心か親切心か?
(Karyma)

 エジプトの人々は日本人が大好きです。私たちが想像する以上に好かれています。もちろんそれは、日本人がお金を持っている=金払いがいい、ということが第一に挙げられます。

 特に初めてエジプトを訪れる人などは、町中で親しげに声を掛けてきた人に無防備についていってしまい、気付いたときには土産物屋に案内されていた……などという経験を1度や2度はするはずです。10メートルおきに声を掛けられて、目的地になかなか到着できないという煩わしい思いをすることもしばしばです。「二度と行きたくない」と思う人の理由の多くに、これが関係しているのも確かです。

 けれど、それらを差し引いてもあまりある親切を受けることがあります。日本はエジプトから歴史上、何も略奪しなかったからだと以前、ガイドに聞いたこともあります。もちろん今のエジプトの人々にそれが当てはまるかどうかは、時代も経過していることですし、疑問が残るところではありますが……。

 道に迷い、下を向いて地図を見ていると、いつの間にかエジプト人に周りを囲まれている……そんな経験をすることがよくあります。そして、みな口々に「どこに行きたいんだ?」と聞いてきて、「○○○に行きたい」と答えると、今度は「俺が教える」と我先にと、争いながら教えてくれるのです(笑)。

 さらに、バス停まで連れていってくれた上に、バス代を払ってくれたり、お茶屋さんで隣に座った見ず知らずのおじさんがお茶をご馳走してくれたり、道路を渡ろうとして躊躇していると、なにげなく一緒に渡ってくれたり(カイロは特に道路を渡るのが大変です!)……とにかく数え切れないほどの親切を受けてきました。

 お礼に何かあげようとしても、「いらないよ! 良い旅を続けてくれ!」と格好良く(その時は本当に格好良く見える!)去っていく人がほとんどです。これらの親切に対し、気持ちとしてバクシーシを渡すべきか結構迷うのですが、たいてい渡すと逆に怒られます。

 この傾向は、南のアスワンやオアシス方面など、都会を離れるほど顕著です。スレてないからというと我々の驕りかもしれませんが……。まぁ中にはバクシーシ目当ての人もいますので、全部が全部そうだとは言いきれません。

 ただし、気をつけなければいけないのは、エジプト人は「知らない」ということを恥だと思っているのか、不親切だと思われるのを嫌うのか、道を聞いてもみんなが「知っている」と答えます。そして、結局、間違った道を教えられます。

 知らないなら知らないとはっきり言ってくれた方が親切だと思うのですが、彼らはそうは思っていないようです。道を聞いた時は、相手の目をよく見ておきましょう。知らない人は目が泳ぎます(笑)。それでも不安なら何人かに聞いて、多数決でいちばん指を指す人が多い道を行きましょう。

 また、「知っている」と言って、パピルス屋や香水屋に連れていく人もいますので注意してくださいね(特にカイロのタハリール広場やタラアトハルブ広場ではそれが多いですから)。その見極めは私たちにとっても今でも難しいです。

 そして、もう1つ一生忘れられない事件がありました。

 カイロの考古学博物館の前で爆弾テロがあった時、私とヘクマットは小さな博物館を探して、付近を歩いていました。けれど、そんな出来事をまったく知らなかった私たちは、「あの煙何かなぁ?」「あそこに焚き火をするところあったっけ?」などと不謹慎にも、のんきな会話を交わしていました。

 夕方、旅行代理店のカルナックのオフィスに翌日の列車の切符を取りに行くと、中のスタッフがいっせいに「君たちはどこに行っていたんだ! 今カイロ博物館で人が何人も死んだんだぞ!」と、すごい剣幕で言われたのを覚えています。

 そして、私たちの無事を知ってほっとしたのか、椅子に座り込んでいました。本当に心配してくれていたのですね。その後ホテルに帰ってからも、ホテルのスタッフをはじめ、私たちの無事を確認するための電話が山ほどかかってきていました。その中には、ホテルの電話番号を知らないはずの、その晩、初めて訪れる予定になっていたエジプト人のお宅からの電話も含まれていました。わざわざ調べてかけてくれたんですね。「日本にいるより心配されているかも……」と温かい気持ちにさせられました。

 最初は不信感でいっぱいになることも多いかもしれませんが、思い切って彼らに一歩踏み込んで交流を続けていけば、エジプトのよさを感じる出来事に出会えるはずです。