遺跡・観光
アスワン・ルクソール間

コムオンボ
DATA>料金10LE(学生5LE)/無休/7:00〜21:00 ※現在、アスワン・ルクソール間を個人で観光する場合、警備の問題上、ツーリストポリスか考古局の許可を必要とします。
プトレマイオス朝時代に建てられた神殿で、善の神ホルスと悪の神ソベク(ワニの頭の神)の2神を祭ろうとしたために、通路や至聖所が2つづつある珍しい二重構造になっています。残存する壁のレリーフはきれいに残っていて、日の当たらない門の下部(天井)にはまだ色も残っています。エジプト最後の女王クレオパトラ7世とその息子シーザリオン(カエサリオン)のレリーフや、ワニのミイラを見ることができます。
エドフ(ホルス神殿)
DATA>料金20LE(学生10LE)/無休/7:00〜17:00(冬季16:00)
王権の守護者ホルス神が祭られているために、ホルス神殿とも呼ばれています。神殿壁のレリーフの保存状態は良好で、至聖所にはホルス神を運ぶ祭に使われた船があります。また、第一列柱室の入口には、上下エジプトの王冠をかぶったホルス神の石像が一対残っていますが、そのうちの一体は倒れてしまっています。
アル=ヒッラ
DATA>無料/不明/アル・ヒッラの村の中にある
諸部構造はすでになく、一部日乾煉瓦の遺構だけが残っています。エルカブを作った職人村の跡で、古代から現代にいたまで上エジプトでは大きな村の一つ。はっきり言って何もない。また、私たちが訪れた時、外国人としては初入村といわれたぐらい、外部からの出入りはなきに等しい。
エル=カブ
DATA>料金不明/時間不明/アクセス
古代の町の周壁
岩窟墳墓から道路を挟んだ向側に見えているのが、日乾煉瓦でできた古代の町の城壁です。ほとんど崩れてしまっていますが、わずかに昔の面影がしのばれます。
岩窟墳墓
パヘリ 18王朝の貴族で、ケネブの市長だった人物の墓です。農作業の場面や、様々貢物や供物を捧げられている壁画など、色も比較的綺麗に残っています。また、崩れてはいますが、パヘリとその妻、母の像があります。
イアフメス 18王朝の人物で母の名はイナバ。水夫長で、イナバの息子と称しました。
エジプト史上第1級の資料と言われている、ヒクソス放逐を含むイアフメスの伝記31行はここにあります。
イアフメス(別人) 後送
アハモーズ 後送
バヘルト 後送
セタウ 第20王朝ネクベト神の司祭だった人物の墓です。墓の外に聖船で移動するラー神とラーホルアクティ神に礼拝するセタウのレリーフがあります。
レンニ 第18王朝アメンヘテプ1世時代の神官長だった人物の墓です。崩れてはいますが、壁画にはまだ色が残っており、供物を捧げられるレンニ夫妻の姿も描かれています。
トト神の祠堂
岩窟墳墓の東にあります。第19王朝に建てられました。
プトレマイオス朝の祠堂
トト神の祠堂の上にある、ネクベト神に捧がられた祠堂です。天井にはネクベト神であるハゲワシが描かれています。
アメンヘテプ3世の小神殿
第18王朝のアメンヘテプ3世がネクベト神を祭った小神殿です。トト神の祠堂のさらに東側にあります。
コム=アル=アハマル(ヒエラコンポリス)
DATA>料金不明/時間(日が出ている間)/エル=カブの対岸(西岸)にあります。
この場所から、ナルメル王のパレットが発見されました。
エスナ(クヌム神殿)
DATA>料金8LE(学生4LE)/無休/6:00〜18:00(冬季17:30)
プトレマイオス朝以降に建てられた神殿で、ろくろの上で最初の人間を作ったといわれている羊の頭のクヌム神に捧げられたものです。現在は列柱室しか残っていませんが、その柱の保存状態は良好です
アル=マント
DATA>非公開
神殿を発掘中で、修復もまだ行われていないため、レリーフの一部などを見られるくらいです。ただし、インスペクターがいる時は、入れてもらえません。一応、非公開です(もしくはバクシーシしだいで、見学できる可能性はあるかもしれませんが?)。

上エジプト第4州イウタ・メンチュウ。コプト語のエルモント、ギリシャ語のヘルモンティスに由来している。第11王朝にはメンチュウ神殿がありました。ローマ時代の柱や石棺が破壊され打ち捨てられています。まるで嵐の跡よう。

トトメス3世によって、王の弓術について報告した「勇敢な勝利のリスト」を記した石碑が奉納されました。

アル=ミッラ
DATA>料金無料(バクシーシ)/時間(日が出ている間)/アクセス
貴族の墓。古代名はヘファト。アンクティフィとセベクヘテプの墓があり、鍵を開けてもらう必要があります。開けてもらったら門番へのバクシーシを忘れずに。

第一中間期初期の墓で、時代が混乱していたため、伝統にのっとっていない壁画を見ることができます。碑文には、古王国末期、南の地方、諸州の情勢を書いた「アンクティフィ」の伝記が残っています。魚漁や狩猟の彩色壁画が一部修復され、見ることができます。

ゲベレイン
DATA>料金無料/時間(日が出ている間)/アクセス
道路脇の丘の中腹にある。洞窟のようなところで、ほとんど何も残っていない……というよりコウモリがいるだけ。この遺跡のすばらしさは、イタリアのトリノにあるエジプト博物館の復元模型を見ないとわからないでしょう。

古代語でもアラビア語でも2つの丘という意味で、東の丘のハトホル神殿、西の丘に第一中間期の墓があるといいますが、位置がよくわかりませんでした。ただし、小高い丘の上に、赤色花崗岩の大きな遺物(何かは不明)が1つドンとある。ここからはナイルの景色が一望できます。