遺跡・観光
ここの文章は、とある本を翻訳。著作権に引っかかるので、そのうち大改訂します。
アブミナ


聖メナスとは?
 18世紀の讃辞(?)によると、メナスは小アジアのフィリジアの裕福なエジプト人の両親のもとに生まれ、両親が早逝したあと、父の友人である軍の将校の紹介でローマ軍に入隊しました。けれども、ディオクレティアヌス(AD303勅令)によるキリスト教徒迫害が起こり、キリスト教徒だった彼は、最初、真実を告げぬまま退役しようと考えました。
 けれど、しばらくして、メナスは自らクリスチャンであることを告白。キリスト教徒迫害の命令をを拒絶しました。それでもローマ帝国は彼への刑罰を免除しようとしました。しかし、彼は自分だけ苦難を逃れることを良しとせず、軍を脱走し、結果、打ち首の刑に処されてしまったのです。
 遺体は火葬されようとしましたが、すんでのところで、以前異国人と戦うためにエジプトのマレオティス湖に共に転任した部下たちによって、遺骸は保護されました。けれど、結局、フィリジア国境を押し通ろうとして果たせず、石棺を捨て、遺骸だけをラクダに乗せ………
Nadiaの間違ってるかもしれない超意訳、つづく。お楽しみに…してない!?




※ちなみに迫害打ち切り、キリスト教公認は、AD313年ミラノ勅令以降


図1アブミナ遺跡全体マップへ
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巡礼施設について
DESCRIPTION OF THE PILGRIMAGE CENTER
 古代の居住地(開拓地)の南方には、巨大な巡礼施設がありました(図1)。
 近年部分的な発掘が進められ、周囲を円柱で囲まれた巨大な建築物は、巡礼者のための中央集会場に使われた場所であることがわかっています。
 集会場の周りには、さまざまな目的で使用された建築物があり、北部には、南の殉教者教会に詣でる巡礼者のためのホテルがありました。
 巡礼施設のメインゲートは大バジリカの北側にあり、ホテルから続く広い参道の到達点である広場に向かって開いています。この参道は、部分的な発掘が行われています。
 凱旋アーチは、両側を円柱がある通りにつながっています(円柱があるのは通りの最初のほうだけ)。この通りは、北部施設・中央道に通じるいくつかの小道にもつながっていると考えられています。ほかのもっと小さな門からつながる通りは、東西のコンプレックスにつながっていました。
 初期のバジリカの南側には、半円形の建物が建てられています。また、境界壁は、教会の聖廟の近くに埋葬されたいと願った巡礼者の墓域と施設を隔てたものです。
 北端にある集会場の外側には、村があったようです。それは、主に小さな泥レンガの建物で、商店や工房で構成されていました。ただし、これらの建物の表玄関だけは石造で作られています。ここで見られる切石に泥のモルタルで建てられている家は、後の時代のものです。
 このエリアには、2つの大きな浴場(ダブル浴場<図6>と北の浴場<図8/かつて誤って宮殿と思われていた>)もありました。その東には、南にアプスを持ったもう一つの遺跡があり、しばしばガーデンチャペルと間違えられましたが、たぶんこれがかつて宮殿の一部であったのかもしれません。
 道路跡は、復元することはほとんど不可能です。上記で触れた参道の向こう側、浴場近くには昔の道路跡があり、同時代のローマ道ように、これらもまた側面を円柱で形成されています。また、いくつかの通りは、円柱と角柱、交互に置かれていました。
 初期の防御壁の痕跡は、居住地の北部や北西部で見つかっています。とはいえ、この壁についての正確な調査は、いまだなされていません。それでも、その遺構が広範囲に、取り囲むようになっているのはわかります。そのうえ、明らかに無人のエリアまで取り囲んでいるようです。門の遺構もまた、施設の北部で見つかっています。
 その中でも北へと続く壁は、北のバジリカのものでしょう(図8)。これは教会と、おそらく聖メナスの殉教を記念する祭礼を行う空間、司教が居住するための生活地区が合わさった複合建造物だったようです。

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アプス【apse】/後陣。教会堂建築でネイヴの正面奥いっぱいに張り出される大規模なニッチ、半円周の立ち上がりをもち、その上に半円ドームをかける。ビザンチン建築では、外部から見ると多角形状になっていることもある。また、ビザンチンでは大アプスの両側に小アプスを付加した大小三つの複合形式のも見られる。もともとアプスは東側にのみつけられるものだが、トランセプト(翼廊・袖廊)の先端につけられることもある。








施設の北部…the center/巡礼施設をさすのか、前の段落の建築物をさすのか不明。前の段落ではセンターの表現は使っていないが。


図2大バジリカ・殉教者教会・洗礼堂マップへ
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殉教者教会について
THE MARTYR-CHURCH
まだ文章、推敲していないのですが、とりあえずアップ。

 殉教者教会は,大バジリカと洗礼堂の間(図2)にある.それはかなり複雑に入り組んだ建築物らと同じく重要な、メナスの墓の上にある.1942年の発掘で,イギリスの考古学者,J. B. Ward Perkinsは,フェイズIV(4層)と呼ばれる最も重要,かつ,よい状態に保存された建築物のいくつかの年代を明らかにした.建築学的に,それは東西に横たわるバジリカ様式(tetra-conch)の教会の典型を示している.
 殉教者教会は,半円ドームをに向けて開けた,両側を円柱で囲んだ矩形の身廊をもっている.身廊の円柱は四角い基礎が,半円ドームには八角形の基礎が使われた.その基礎部はすべてコンスタンチノープルの側の石切場や東方のいくつかの建築物から再利用したProconnesianの大理石である.東側の張り出した部分は,かつてアプスとして用いられ,6つの円柱によって構成されている.おそらく当初は,ドーム型に計画されていたのだろう.
 もともとアプスは司祭の司教座(カテドラ)だった.この司教座は,大理石の支柱がひどく腐食している部分でもあるが,それでも特定することができる.祭壇は,アプスのほぼ中央に部分に建てられた.
 教会の外部の壁は,シンプルな方形である.ただし,アプスの半円ドーム(コンチ)の頭頂部には,単調にならないように細長い方形のニッチがみられる.東部との境界線には,円柱が直線上に並び,大バジリカのナルテックスへ通じる構成になっている.西部には壁があり,洗礼堂と隔てる役割を果たしている.
 そのうえ,この殉教者教会は,入口が西端にあり、その外壁両サイドには,半円形の控え壁(突出した部分)を組み込んでいる.また、北側にある,外部への出入口であるポルティコの円柱の配置は,広めの柱割様式だった.
 殉教者教会は,大バジリカの建築の後,ユスティニアヌス皇帝(528-565A.D.)の治世の間に建てられた.7世紀に,教会と巡礼施設のいくつかの場所では,大火災を受け,長い間教会は廃墟となっていた.
 ミカエルI(744-768A.D.)が総司教をつとめている間,その建造物はコプト教の手に受け継がれ,まだ無傷の外壁は,エジプトで最後(カイロのデール・アブー・サイファンにあるセント・メルクリウス大教会を除き)の大教会建築となる新教会(図3)の建築に使われた.このミカエルIのバジリカは,殉教者教会の内部に作られている.
 この時代特有の特徴は,ジョイント部にモルタルの厚い塗りを使用した平らの石の壁にある.基礎プランは,4列の柱をもった五廊式(長軸式)バジリカとして計画された.それは,西にナルテックス,身廊から独立したクワイア(おそらく聖体を外部から隠すためのアプスとの仕切り)があった.クワイアは,当時すでに使用されていない旧大バジリカのナルテックス内部に配置し,この新バジリカの比較的小さなアプスは,旧バジリカの身廊へと続く扉に置かれた.
 古い建物の一部は、殉教者教会の身廊に発見されている。新しい建物が古い構造物の上に直接建てられているので、わずかに2、3の遺跡が残るだけである。いずれにしても、旧小バジリカ(図2)は、後の殉教者教会(テトラコンチ教会)の身廊の広さと同じくらいの大きさであることを仮定するのに十分な発見だった。教会の西端の貯水槽へと続く(静止して見える)入口(今日では閉まっている)は、この教会と同時代のものと同定される。殉教者教会が建てられた時、それは、部分的に西のコンチの柱の土台を覆い、ムダを省いた。この初期の小・・・・続く。

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ナルテックス
narthex
拝廊・洗礼志願者の間で,初期キリスト教ではここから内部には信者しか入れなかった.迫害された歴史から信者以外の人間を危険視したため



洗礼堂
baptistery
バシリカ様式の教会堂の形式は、まず入口を入ると周囲に列柱廊を巡らせたアトリウム(前庭)がある。ここは教会堂に入る前に体を清めるだけでなく、洗礼を授ける洗礼堂の役割も果たしていた。
普通、アトリウムの吹き抜けの回廊の片側が、そのままナルテックスになる。



ポルティコ
portico
屋根付きまたは吹き放ちの玄関先の柱廊で,街路もしくは広場に直接面している.



柱割様式
intercolumniation
柱の基部直径の倍数によって柱と柱の間隔を決める様式.
広柱式 diastyle 直径の3倍
集柱式 systyle 2倍
密柱式 pycnostyle 1.5倍



クワイア
チャンセル
聖堂・礼拝堂(アプス)の内陣,通例,東側にあり,聖歌隊と聖職者の席があり,身廊との仕切りに石または木の壁がある.



小アプス
ビザンチンでは大アプスの両側に小アプスを付加した大小3つの複合アプスもあり。これのこと? トランセプトの先端につけられることもある。