遺跡・観光
カイロ

エジプト考古学博物館
DATA>再新情報参照(作成中)/タハリール広場
セキュリティや防犯設備は年々向上しています。しかし、屋外の無造作に置かれた石棺は、掃除用具入れと化していたり、やっぱりエジプトだなあ……。
全部の展示室を歩くだけでも3時間かかるでしょう。近い将来ギザに移転予定。とにかく、ところ狭しと遺物が置かれています。
展示品は入って左回りに古王国からローマ時代まで時代ごとに並んでいますが、特別展などがあると予告なしに移動する遺物もあります。クフ王の小像は、ここ数年はヘテプヘレスの部屋にありますが、とにかく移動が激しい。ツタンカーメンの遺物は2階で、黄金のマスクや宝石類はスペシャルルームに展示されています。ミイラは、玄関入って右の中2階に。
ギフトショップの本の充実度は高く、日本の本はなぜか日本で買うよりも安価です。
●Hekmat流 楽しみ方
2階42室の入り口前にある緑のタイル壁(ファイアンス)。忘れ去られたように、ほこりだらけのガラスの中にあります。これは、サッカラの階段ピラミッド地下にある回廊の壁の一部。実は、階段ピラミッドの下はアリの巣状態になっています。王の儀式レリーフなどがありますが、現在は落盤の危険があるため立ち入りはできません。しかし、この美しいタイルで被われた回廊を想像するだけでも楽しい。また27室の模型は、当時の生活がよく再現されています。
写真後送
●Nadia流 楽しみ方
みんなが行くだけに感想を書くのが難しいですね。最近のお気に入りといえば、2階にあるキップスやベス神を集めた部屋。各時代の弓(角弓や複合弓など)の違いを見比べるのも楽しいかな。地味な部屋ばかりでごめんなさい。イウヤとチュウヤの副葬品も、すごいですよ。
写真後送
ナイロメーター
DATA>再新情報参照(作成中)/番人が必ずついてくるので要バクシーシ
9世紀のトゥールーン朝(アッバース朝)に作られたナイロメーター。アスワン・ハイダムができるまでナイル川は定期的に氾濫しており、古代より水位を知るために各地にナイロメーターが作られました。
現在、このナイロメーターは、装飾がみごとな三角屋根の小さな建物で囲まれています。メーターは長い柱状なっていて、螺旋階段を下り、底まで行くことができます。ナイル川とは底のトンネルでつながっており、川の水位が上昇すると、メーター内の水位も上がる仕組み。現在は使われていません。
敷地内には、国民的歌手だったウンム・カルツーム博物館もあります。
コプト博物館
DATA>再新情報参照(作成中)/オールドカイロ・地下鉄マリ・ギルギス駅下車目の前
コプト教会が集まり、現在でも多くのコプト教徒が住んでいるオールドカイロにある博物館。名前の通り、コプト文化の芸術品や文書、フレスコ画などを見ることができます。20世紀最大の発見といわれるナグ・ハマディ文書の一部も、ここに展示されています。(Nadiaの)個人的には、中世の人々の迷信深さがわかる、おまじないや吉凶判断などのパピルスを見るのが楽しい。
聖ジョージ教会(ギリシア正教会)
DATA>再新情報参照(作成中)/オールドカイロ・地下鉄マリ・ギルギス駅下車目の前 ※肌を露出した服装は不可(ほか教会、モスクも同様)
階段を上がると正面に、馬にまたがり片手に剣(槍だったかな?)を持ち、足下に竜を踏みつけた聖ジョージのレリーフがあります。教会内部は、集中式(有心式)のバシリカ様式になっており、日曜日の礼拝には多くの信者が集まります。
地下クリプト(聖ジョージ教会)
DATA>再新情報参照(作成中)/オールドカイロ・地下鉄マリ・ギルギス駅下車
聖ジョージ教会を出てすぐ北にある地下道をくぐると、中世そのままの石だたみの道が続き、その道筋に聖バルバラ教会などのコプト教会やベン・エズラ・シナゴーグがあります。雰囲気を楽しむだけでも一興。聖メナスのイコンやイエス・キリストのペンダントなどのコプトグッズが露天で売られていて、おみやげにもおすすめ。

聖バルバラ教会の先、右に曲がるとすぐのところに聖ジョージ教会(地上にあるこの教会とは、別の教会に感じるが同じらしい)の地下のクリプトがあります。入ると3廊の長軸式のバジリカ様式の教会になっていて、身廊の両サイドには、古代の柱を再利用したコリントス式柱頭を持つ大理石の柱が並んでいます。正面アプスの左側の空間を入ると、イエスとマリアが難を逃れてエジプトに来たときに住んでいたといわれる地下クリプトへの入口があります。入り口からのぞくだけで、地下へは入れません。宗派に関係なく、欧米からのキリスト教徒たちが訪れ、ここから地下に向かい祈りを捧げています。

ベン・エズラ・シナゴーグ
DATA>無料・撮影禁止/オールドカイロ
地下のクリプトがある教会をさらに真っ直ぐ進むと右手に、ユダヤ教の教会(シナゴーグ)があります。ここは、ゲニザ文書(カイロ・ゲニザ)が発見されたことでも有名です。ユダヤ教では、神の名を記した文書(たとえ日常生活について書いたものでも)は捨てることが許されなかったため、使用済みの紙が古来からゲニザに大量に保存されてきました。発見された文書は10世紀から18世紀(中心は13世紀半ば)のもので、当時の生活を知る貴重な資料となっています。

ファーティマ朝の時代、8世紀に聖ミカエル教会の跡地に建てられたシナゴーグ。初めて入ったシナゴーグですが、意外に小さく、シンプルなのに驚きました。

聖バルバラ教会
DATA>無料/オールドカイロ・地下鉄マリ・ギルギス駅下車
地下道をくぐり、最初に左側にあるのが聖バルバラ教会です。
農業博物館
DATA>再新情報参照(作成中)/ドッキ地区 OFF WIZARET AI ZIRAA st DOKKI
現在、大改装中(古代館とコットン館)。
英語で「アグリカルチャー・ミュージアム」と言っても通じません。迷った時には「ハディーカトゥ・ル・マタハフ」(公園博物館)というと、なぜか通じます。

古代館、植物館、動物・民族資料館、コットン館の4つから構成されています。
中庭には、偽物の彫像などが並んでいます。地元民のたまり場。日本語学校の生徒がいつもウロウロしていて、「勉強のためにガイドをさせてください」と声をかけてくることもあります。観光地ではないので、本当に生きた日本語に触れたがっている素直な人が多く、安いガイドを見つけられるかも。ただし、プロのガイドではないので、遺跡や観光地を知っている可能性はゼロに等しい。ただし、一人や少数グループの旅行で、タクシーや交渉に疲れてきている時には、彼らがいると心強いでしょう。
古代館には、古代のパン(本物!)やウールなど貴重な遺物が無造作に置かれています。
植物館には、エジプトでとれる野菜や穀物のレプリカ、また地方別アエイシュ(エジプトパン)の展示があり、圧巻です。
動物・民族資料館は、1階にイスラームの生活風俗をマネキンを使って説明しています。マシュラベーヤの花嫁の輿など、見る価値あり! 番人の機嫌がいいと、結婚式の花嫁・花婿の控え室を見せてもらえます。もちろんその場合はバクシーシが必要です。
2階はエジプトに生息する、またしていた動物と鳥類の剥製室。熊の頭付き毛皮が壁から下がっていたり、ダイナミックな展示にはオドロキです。鳥はみんな仰向けで、はっきりいって「こわい」。薄暗いのでほとんどお化け屋敷みたいです。
私(ヘクマット)が初めて行った時は、修理前で、あまりの怖さに駆け抜けようとしたところ、床を踏み抜き、声も出ない恐ろしさでした。
魚はなぜかレプリカのみ。あまりにウソ臭い水槽は笑ってしまうので、見るとかえって気分転換にいいでしょう。
コットン館は、いちばん開いている確率が低いでしょう。コットンや紡績、現代までの製品以外にも、ウールやコプト織りも見られます。

シタデル
DATA>再新情報参照(作成中)
1176年、英雄サラディンが対十字軍の拠点として、モカッタムの丘に造った城塞です。19世紀のムハンマド・アリの時代まで、支配の中枢として機能していました。
モハマド・アリ・モスク
1857年に完成。イスタンブールのモスク(アヤソフィア?)をマネたもので、他のエジプトのモスクとはやや雰囲気が異なります。外観も派手ですが、内装もステンドグラスやシャンデリア、モスクランプなど、豪勢な作りになっています。中庭北端にある時計は、ルクソール神殿のオベリスクと引き替えに、フランスから貰ったもの。現在は壊れて、動いていません。ちなみにオベリスクはパリのコンコルド広場にあります。城塞というだけあり、カイロの街がよく見渡せますが、スモッグの影響でいつでも空が霞んでいます。
軍事博物館
中世から近代、中東戦争に至るまでの武器が並んでいます。また、ツタンカーメン王の戦車(本物)やノモスの軍旗(レプリカ)なども展示されています。外にもミサイルなどがゴロゴロ並んでいるので、お見逃しなく。(カメラ1LE)
警察博物館
デスマスクや勲章、制服などのほか、古代の遺物も多少展示されています。
インナースィル・ムハンマド・モスク
1335年(マムルーク朝)に完成したモスク。回廊には王朝時代の石材が再利用されています。
ガウハラ宮殿
イスラム時代の家具調度品が見られます。(撮影禁止)
ガイヤー・アンダーソン美術館
DATA>料金後送/イブン・トゥールーン・モスク入口の塀をくぐり、左に行ったところ
映画『007 私を愛したスパイ』のロケにも使われたモスクです。英国大使アンダーソンが、1930年頃修復と維持を条件に持ち主から譲り受けたものです。約10年かけて修復。イスラームや古代の美術品で館内を飾り立てました。書斎にはお棺の人の絵の部分を壁に貼り付けたりしています。また、部屋の中央にあるバステト像はぐるぐる回転。また、アンネの家よろしく、本棚の向こうには女性のための秘密の間があります。
スルタン・ハッサン・モスク
DATA>再新情報参照(作成中)/ミナレットに登るには要バクシーシ
リファーイ・モスクと並んでおり、正面左側がこのスルタンハッサン・モスク。マムルーク朝における世界最大級のモスクで、ミナレットは90m。そこから眺める大パノラマは圧巻。広々しているというより、ある意味がらんとしているモスク内は、カイロ市内の喧騒を忘れ、のんびり昼寝したい人にはおすすめでしょう。
イブン・トゥールーン・モスク
DATA>再新情報参照(作成中)/Saliba St.
のんきに改装中。エジプト最古のモスクで、ミナレットからはムハンマド・アリ・モスクがよく見えます。他のモスクとは違い、イラクの建築様式が特徴的。小さなモスクの見分けは難しいですが、ここは塀があるのが特徴です。
リファーイ・モスク
DATA>再新情報参照(作成中)
スルタンハッサン・モスクの正面右隣。外階段を上がり2階にあります。モスク内には、リーファイ教団創始者シャイフ・リーファイの墓、イラン最後のシャー・パフラビィ2世の墓があります。
アクスンクル・モスク(ブルーモスク)
DATA>再新情報参照(作成中)/ズワイラ門とシタデルを結ぶパーブ・イル・ワジール通り沿い。シタデルから約300メートル ※ミナレットのガイドにはバクシーシを
世界にトルコとイランとエジプトの3つしかないという青のモスク。オスマン朝時代、トルコの総督イブラヒーム・アガが1652年に母国トルコからタイルを取り寄せ、イスタンブールのブルーモスクを似せて建造したものです。
フスタート
DATA>再新情報参照(作成中)/コプト博物館を右に見ながらマリーギルギス通りを真っ直ぐ進み、最初の角を右に曲がって約200m先の左側の塀。入口におじさんが椅子に座り、チケットを売っています
アル・フスタートは、7世紀にアムル将軍がエジプトを攻略する際に建設した要塞で、その後10世紀のカイロ首都移転までの300年間、エジプトの首都として機能した場所です。他のイスラム世界の例に従い、都市計画に無頓着なまま雑然と無数の建物がひしめいていましたが、現在は完全な瓦礫の山。ここがかつての大都市だったとは信じられないでしょう。文化財指定地区になっており、ここからは大量の土器片が発掘されていますが、それも信じられないほど何もありません。中は地盤がゆるいので、あまりうろうろすると穴に落ちる危険があります。大けがの元なので、番人の忠告には従った方がいいでしょう。
ゲジラ島
DATA>
中心部は、緑が多く、南国特有の木や馬車の休憩所、サッカー協会のオフィスなどがあり、時間のあるときに散策すると楽しい。タハリールの喧騒を、しばし忘れることができるヘクマットのお気に入りスポット。
オベリスク公園
DATA>再新情報参照(作成中)
ゲジラ島シッターオクトーバル橋沿い北側
ラムセス2世のオベリスクがあり、目立つことからそう呼ばれるようになったとか。カイロタワーを背にナイル沿いを歩いていくと左側に見えます。入り口は、オベリスクを見ながら前進し、公園の柵に沿って左に曲がったところにあります。
公園内には、オベリスクのほか、2体のセクメト女神像と鳥の姿のホルス像があり、共に古代の本物の彫像です。ちなみにブロック・スタチューはレプリカです。
静かな公園なので、緑のアーチの下で読書や書き物をしては。ドリンクのオーダーを聞きにきてくれます。マンゴージュース5LE。地元民のデートスポットで、金曜日には子供が鬼ごっこしたりしているので、うるさいかもしれません。超穴場、密会にはもってこいでしょう。
水族館
DATA>再新情報参照(作成中)/ゲジラ島
迷ったときは「ハーディーカトゥ・ル・サマク(魚公園)」と聞けば、たぶんわかるでしょう。英語で「アクアリウム」と聞いても通じません。まさに魚公園という形容がぴったり。私が行ったときは、2種類<キビール(大きい)とソガイヤル(小さい)>の魚しかいませんでした。遊具があり、ピクニック気分を楽しむ人や、子供が多い。
植物園
DATA>再新情報参照(作成中)/ドッキ地区の南
動物園の通りを渡って反対側。効率的に回るには、まず植物園に入り、裏口を出ると正面が動物園になります。極楽鳥花や薔薇がみごとに咲き誇っています。広い芝生もあり、昼寝にはもってこい。池は、まるでモネの蓮池が具現化したかのようです。橋も架かっています。
動物園
DATA>再新情報参照(作成中)/ドッキ地区の南
世界でいちばん南にいる白熊をぜひ見てください。夏には毛を刈られています。ホルスもいます。
動物の子供などを触らせてくれることもあるようですが、充分気をつけてください。飼育係は当然バクシーシ目当てです。また、動物はいつ野生の本能をむき出しにするかわかりません。ひっかかれたり、かまれた傷が原因で、熱でも出した日には目も当てられません。アミーナは、小猿にさんざんひっかかれ、痛い思いをしました。
また、ここは子供の集団がわんさかいます。こちらが見せ物になり、「私が珍獣?」という思いをすることがあります。
子供や家族連れとは仲良くなって、ガイドしてもらうのも手です。しかし、私(ヘクマット)はいまだ白熊にたどり着いていません。
人民会議場内 民族博物館
DATA>再新情報参照(作成中)/タハリール
屋外は撮影禁止。アメリカン大学の並びにあり、タハリール広場を背に、大学沿いを歩くと長い柵がある建物に出ます。この中が人民会議場で、大きな正門のど真ん中に、小さな門番小屋があります。ポリスに制止されたり、「博物館はタハリール」と追い返されそうになってもめげてはいけません。小屋の中に入ったら、博物館を見たいと言うこと。約10分待たされ、パスポートと引き替えに入場バッジをもらえます。その後、ゲストブックに名前と住所を書き、彼らの案内で連れていってもらいます。
博物館内は、イスラーム時代の民族資料がところ狭しと並んでいます。お菓子の木型は、日本の菓子型が思い出されます。鍵束や象眼細工の家具などを見ることができるでしょう。全部で4室あり、ジオラマで歴史の説明をする部屋があります。電気をつけてくれたおじさんに、帰りにバクシーシを渡すのを忘れずに!
カイロタワー
DATA>再新情報参照(作成中)/ゲジラ島 HADAYEK AL ZUHREYA st.
187メートルあり、西にギザのピラミッド、東にシタデルのミナレットが見えます。展望レストランでは、ファラオニックな衣装に身を包んだウエイターがサービスしてくれます。カイロの人気デートスポット。
パピルス博物館
DATA>再新情報参照(作成中)/ドッキ地区 CORNICHE AL-NIL DOKKI
博物館とは名ばかり。船の中にあり、壁にパピルスがかけられている……値段付きで。ようはパピルス屋なのです。パピルスの製法を現代によみがえらせたドクター・ラガブの店。ここでならある意味、100%本物のパピルスを手に入れられます。証明書もくれます。町中と比べると高く感じられるかもしれませんが、良い物が欲しいならおすすめ。
ファラオニック・ビレッジ
DATA>再新情報参照(作成中)/無休/ヤコブ島 3AL-AZAM st.GIZA
エジプトのテーマパークではいちばん出来がよいと思われます。古代の歴史の説明や工芸品作りの実演を、船に乗りながら見て回るというもの。分かりやすくいうと、東京ディズニーランドのカリブの海賊風。船は人数が集まらないと出発しません。5カ国語ぐらいの説明がありますが、その時に集まった人種により言語が決まります。残念ながら日本語はなし! また、島に上陸すると、神殿や古代の家の復元があり、王妃が化粧をしていたり、おばちゃんがパンを焼いています(このパンは中のレストランで食べられる)。ツタンカーメンの墓は、発見当時の様子を再現しており、見応えがあるでしょう。エジプトが大好きな人、勉強している人には感動ものだけれど、そうでないと「張りぼてでウソ臭い模型だなぁ」で終わってしまうかもしれません。
国立郵便博物館
DATA>再新情報参照(作成中)/アタバ郵便局別館2階
エジプトは世界で最初に切手を発行した国らしい。中は郵便ポストや制服、スタンプがところ狭しと並んでいます。郵便配達のしかたの模型が古代から現代までありました。郵便局で記念切手を買うのであれば、本館1階の入って直ぐ右の部屋で。日本へのエアメール用の切手は、奥まで行って右にある窓口で買うこと。
イスラム芸術博物館
DATA>再新情報参照(作成中)/アタバ近く、シャーリア・ボールザイード沿いのピンクの建物が目印
各時代ごとに展示室が区分けされており、フスタートから出土した陶器や工芸品、特に木製品やガラスは見応えがあります。筆写本やコイン、タペストリーなどイスラム芸術の世界的に貴重なコレクションが展示されています。中庭ではお茶が飲めます。
マニアルパレス
DATA>再新情報参照(作成中)/ローダ島 Al Sarai St.Manyal
皇太子ムハンマド・アリが建築した王宮。建物は5棟から成り、庭はかつて島全体が王家の野生庭園だった頃の名残で、ゴムや椰子の木が多い。トルコのイズニック(イズミール?)から取り寄せたタイルを敷き詰めたトルコの間の他、シリア風、東洋風の間があります。狩猟博物館はウナギの寝床。長いホールにずらっと剥製が並んでいます。両性具有のヤギや300頭のガセルの頭が見もの。いちばん奥の棟には、ここで使っていた食器や衣類、トルコ風呂を見ることができます。
日本庭園
DATA>再新情報参照(作成中)/ヘルワン駅の改札を出て、前の通りを左に行った突き当たり
道がわかりやすいので、一人で行動したい初心者向け。 昭和天皇が皇太子時代にカイロを訪れたのを記念して造られました。地元の人は「アリババと40人の盗賊」公園と呼んでいます。40隊の中国風の像が置かれているところからそう呼ばれるようになったらしい。庭園内はたしかに東洋風ですが、けっして「和」ではありません。イタリア人が設計し、中国人が造ったことに原因があるようです。 五重塔もどきの東屋や灯籠、三猿などもあり。
ヘクマットの思い出は、イタリア人の団体と東屋の下にいたときに、「これがジャパニーズ・ハウス」と言いきるガラベーヤのおじさんに、シェークスピアについてウンチクを聞かされたこと。そして、ここで私はモロゾフの箱を捨てたのですが、その後地下鉄に乗ろうしたらその箱を持っている人がいたこと。
ガーミア・マリダーニ
DATA>再新情報参照(作成中)/ズワイラ門とシタデルを結ぶダルブ・アル・アフマル通り(途中からパーブ・イル・ワジール通りと名前が変わる)沿い
ミナレットはマムルーク朝最古のもの。中の柱は王朝時代のものを使っています。外の柱の1つにはヒエログリフがあり。 番人の中には、かなり高額のバクシーシを要求してくる者がいますが、だまされないように。もちろん喜捨ですから、たくさん払いたいならあえて止めませんが……。
アブディーン宮殿
DATA>再新情報参照(作成中)/アクセス・地下鉄ムハンマドナギーブ駅からゴムホレーヤ広場方面へ
ムハンマド・アリ朝のイスマイール王が建設した超豪華な建物です。今は大統領府の所有になっているので、周囲を軍人が警備しています。入口は正面から右回りに歩いて行くとあります。わからないときは、「マタハフ・フェーン?(博物館はどこ?)」と宮殿を指差しながら軍人さんに聞くと、笑いながら教えてくれます。中には代々のスルタンの所有していた調度品や武器などが展示してあり、手入れの行き届いた庭はカイロの街中とは思えない雰囲気が味わえます。